異彩を放っていた友人Rの話と当時よく聴いたR&B音楽

yellow flowers

-Photo by Tim Mossholder from Pexels

学生の頃、出会ったRは入学した当時、決められて座った席が前後で仲良くなりました。

出会って最初の印象は”不思議な人”。

いつも自由な雰囲気で時々は、パジャマの用な格好で学校に来たりこのような

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お手洗い用のスリッパなの?思われるようなスリッパで登校してきたり。

義務教育も高校も卒業したあとの学生生活ですから、まぁ、どんな身なりをしようとかまわないんですけどね。

友人Rはまるで、岡崎京子さんの描く漫画の主人公のような人でした。

私は授業が終わるとすぐ幼馴染みや親友たちと合流し、好きなことをして遊んでいたので、その学校で新しい友人を作るという頭はなく。

Rも似たような感じ。

私たちの通っていた学校では、車登校は禁止されていましたが、そんなルールを守るはずもなく遅刻しそうな時、授業が早く終る日などはこっそり車で通っていた私。

Rは電車で通っていたため、彼女の家は私の実家とは反対方向でしたが、ときどきドライブがてら家まで送ったりしていて。

その頃、車に乗せていたカセットテープといえばRun-DMC、ボビー・ブラウン、キャリン・ホワイト、JUN SKY WALKER(S)、今井美樹に友人DJが作ってくれたミックステープなど。

Rは、Run-DMCとボビー・ブラウンが好きだったらしく、私にこの人もいいよと「ベビーフェイス」を勧めてくれたのが彼女。

好きな音楽がきっかけになり、だんだん仲良くなっていったんですよね。

ジョディ・ワトリーの「Real Love」は、帰り道に二人で合唱してしまうほど大好きな曲でした。

「Real Love」は地元のディスコブームが終わる寸前の、ディスコでもよくかかっていたな。

しかし、私は学校内でも超べっぴんのYとも何かをきっかけにして、突然仲良くなりました。

Yは頭も良く勉強もできて、おまけに自分自身の学費と生活費を稼ぐために、スナックでアルバイトをしていたから、彼女とは遊ぶといってもかなり限られた時間の中ではありましたけど。

きちんとした、しかも美人で私からしたらとても大人の女性でした。

彼女が当時、好きだといってよくかけていたのがアニタ・ベイカーの「Compositions」というアルバム。

未だに聴くと彼女しか思い出さない。

RとY。

お互いがそれぞれに一匹狼同士だから、共通点がありそうでなかなかなくて、私は学校内ではしばらく二人の間であたふたすることに。

しばらくすると、Rは学校に来なくなりました。

いつの日からか、米軍基地内にあるクラブに夢中で通うようになっていたようで。

米軍基地内のクラブとか、当時の私は想像したことがなく、興味もなかったため「へ〜楽しいんだ!?」というしかありませんでした。

ちなみに私は人生で一度も米軍基地内のクラブには行ったことがありません。

チャンスもありませんでしたよ。

ただただ、Rの家に遊びに行くたびに、彼女の様子や服装が違ってゆくなぁと。

Rはそういう遊びを彼女の中に取り入れたことで、より一層自由になった感じはありました。

髪型も服装も、当時のジャネット・ジャクソンを真似たようなスタイルをしていたけれど、ショパンのノクターンや別れの曲をピアノで上手に弾いてくれたりしていたっけ。

そして、学校を辞めたR。

そのうち、連絡も途絶えてしまったのですが彼女の友人の話によれば、沖縄で暮らしその後、イケメンのアフリカン・アメリカン男性と恋に落ち、結婚をして可愛い女の子を授かったそうで。

そのおこちゃまも、今では二十歳をとうに超えているかと。

イケメンの旦那さまと、キュートな彼女の遺伝子を受け継ぎ、きっと美しい女性に成長しているのだろうな。

あの時代からRとは一度もあっていません。

地元のことだから、きっと友人の友人を通じて、私もアフリカ系アメリカ人の男性と結婚していることを聞きつけてはいると思う。

彼女は母になり、もしかするともう孫もいたりして?

どんな風に年をとっているのかな。

二度と会えないかも、と考えると何だか寂しいのでいつの日か、家族で会って食事とかしてみたい。

という希望で締めくくることにします♪

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