-Photo by Irina Iriser from Pexels–
エネルギーが有り余っていた若かりし頃は、遊びとも真剣に向き合いとにかく思う存分遊ぶだけ遊ぶから、さまざまな友人をどんどん巻き込んで渦の中へと引き込んでいた私です。
先週、お話した友人Rに引き続き、今回は”超べっぴん”のYの事をお話しようかと。
きっかけは覚えていないのですが、気づいたら仲良くなっていたY。
彼女はしっとり系の美人で、学校ではきれいめなカジュアル、夜は自分自身の学費と生活費を稼ぐためスナックでアルバイトをしていたので、ワンレンにボディコン姿。
私は友達になるとすぐ、その友達を実家に連れていったり母親に紹介したりしていたのですが、私とYがいるのを見た母親がすぐに言い放ったこと。
「彼女の横に並んでいるとお前が大魔神みたいだから、一緒にいる友達はもっと選べば!?」
”大魔神”とは私のことです。
失礼なんですよ私の母親って。
母は、親戚の子どもたちの名前を呼ぶ時は呼び捨てでも、私の時は”さん”付けで名前を呼ぶほど私の事を溺愛していたにもかかわらず、本当に歯に衣着せずに思ったことを何でもいう人で。
だから、きっと私は子供の頃からハートが鍛えられ、些細なことではブレない頑丈な大人に成長したのだと思います。
しかし、Yは美人のうえ小柄でとても均等のとれた体型をしていました。
母に何をいわれたとて、怯む私ではないのでその後もYとの友人関係は続くのですが。
それにYはできた人だから、私の事を「入学したときから、背が高くて目立っててなんだかずっと悔しい気持ちがしていた。でも話してみたら、犬みたいに人懐っこくて面白い人だった」と言ってくれていたしぃ。
Yは学校内、外でも目立って人気があったのだろうけど、一緒にいることを特に気にしたことはありませんでした。
当時の私の好きな人がもし、その学校内にいたとしたら無茶苦茶予防線をはっていたかもしれないけれど、そんな事もなかったですから。
意中の彼に振られて死ぬほど落ち込んでいたとき、彼女がカラオケで歌ってくれたユーミンの”DANG DANG ”は、ヒリヒリとした私の心にじんわりと染み渡っていったんだった。
そんな事もあり、文化祭のカラオケ大会では「ザ・ピーナッツ」に二人で挑戦したりして。
確か、好評でしたよ。
先生からいろんな人々に褒められた気がする。
次にディスコを貸し切って行われた学校のイベントでは、他のクラスにいた女の子達も「ザ・ビーナッツ」を余興で披露。
その女の子達にイベント終了後、”私とYに負けない!と思って対抗してみたんだよ”と言われました。
楽しかったな♪
ちなみにそのイベントには、キョンキョンのCDジャケットの格好をまるごと真似して行きました♡
もちろんYとは、地元の終わりかけのディスコや、オープンしたてのクラブへも一緒に行くようになり。
そうなると当然、私の幼馴染みや親友たちとも一緒に遊ぶようになって、遊び場の男友達にもどんどんYを紹介していって。
既に、ボディコンをやめ古着やアメカジにハマっていた私たちに感化されたYは、アメカジやラスタ風な格好もするように。
また美人は何でもハマるし似合うもの。
しかし、彼女はやはり?ディスコの”黒服”(分からない方はググってね♡)に絶大なる人気があり、KANGOLハットにオーバーオールスタイルの私が連れでも、VIP席に案内されたりしていて。
のちには”黒服”の一人がYの彼氏になったり。
いつでも楽しく、無邪気に彼女との時間を過ごしているときにその問題は勃発しました。
友人が大好きだった男性が、Yの事を好きになり、その男性からYに告白して欲しいと私が頼まれてしまう。
この時は非常に面倒くさかった。
もちろん、Yは全くその男性に興味がなかったのでキッパリと断ってはいたのですが。
友人はYの事を嫌いになるしYは四六時中、申し訳なさそうにしているしで。
誰も悪くはなくて、だけど空気だけが妙に淀んでしまうっていうね。
それが理由ではもちろんないのですが、Yはその後、一身上の都合により一人暮らしをしていたマンションを出て、実家へ戻ることになって。
彼女の実家は、私の実家からは車で1時間半ほど離れたところ。
Yの実家へも、友人と車を飛ばして泊りがけで、何度か遊びに行きましたがそう気軽には通えない場所ではあり。
私がYに最後に会ったのは彼女の結婚式。
教会でウェディングドレスに身を包んだ彼女は、これまた一際美しかった。
その後は、私が渡米した後に子供連れで何度か実家へ遊びに来たと祖母から聞きましたが、電話で話しただけで残念ながら会えてはいないんですよね。
彼女は今でも彼女の地元で年を重ねていると思う。
どんな風に年を取ったのだろう。
この年齢になったからこそ、今までに経験してきたいろんな話をして、またお腹抱えてたくさん笑い合いたいな〜と思うのです♪
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