美的感覚・親の言うこと・私はアメリカでノースリーブを着る

flower field woman

-Photo by Olga from Pexels

今朝は曇り空。

今、時々日が差しています。

子育てが一段落した同級生の友人から働き始めたよと報告のライン。

”ビジネスカジュアル”で出社しなければいけないとの事で、ダイエットの話。

もう、だから”痩せの宗教”は卒業しようと前にも言ったのに。

今、健康なのであれば無理やり体を痩せさせる必要なんてないのにと思う。

ただでさえ私達の年代は”ゆらぎ”の時期で体調不良になりがち。

無理なダイエットすれば体力もなくなるし体を壊す。

数年前、彼女は大病を患った。

適度に栄養のバランスを考えた食事をして、好きで止められないものはときどき食べ、後は適度な運動していればいいんじゃない?と思う。

今の健康状態で10年後も居られれば大したものではないのかな。

日本を含めたアジアの国の人々の美的感覚は痩せていてなんぼ。

それからなかなか抜けられないでいる。

母が言うには

そう言えば、私の母親は髪を後ろで一つに束ねる際、横の髪の毛を顔のラインに沿って少し垂らすスタイルが死ぬほど嫌いだった。

私がそんな髪型をしていると、「それ止めてーーー!大きい顔がより大きく見える。可笑しいから止めて!」とかなりの拒否反応。

そう。

日本は”顔が小さい”事も美しい条件の一つ。

私もずっとそう思っていたし、今も潜在意識の中にはあると思う。

しかし、広い世間には”顔が小さい”事に真剣に悩んでいる人もいて。

そんな人と出会った時、私の中にあった日本の美の条件は一つ崩れ去った。

顔が小さいと脳みそが少ない、いわゆる頭が悪いという見方をする人もいるらしく。

世界は広い。

私の母親はとにかく見た目にうるさい人だったから。

母自身も常に食べるものを気にしていたので、スタイルがよく(アジア全般の美的感覚の中では)流行にも敏感でとにかくオシャレだった。

地元では必要なかったと思うのですが、ミンクのコート(時代の賜物)を着て高めのヒールを履き、肩で風を切って歩いてた。

祖母のスタイル

育ての母でもある祖母は私が子供の頃は常に着物スタイル。

台所に立つ時はいつも着物に割烹着。

まるで漫画サザエさんのフネさんそのもの。

髪型もあんな感じのお団子スタイルで。

でも、祖母はショートヘアが好きだった事にかなり後になってから気づいた。

祖父に”短い髪はおかしい。似合わん”と言われていたから常にお団子スタイルだったらしい。

祖父が亡くなって何年か後、祖母はショートヘアにした。

その後は亡くなるまで、誰に何と言われようともずっとショートヘアだった。

私はアメリカでノースリーブを着る

今の姿を母と祖母が見たら文句をタラタラ言われそうだ。

祖母も母同様、見た目にはうるさい人でしたから。

自分の事は棚に上げて。

ジーンズやパンツスタイルが好きな私は、もともとミニスカートやショートパンツにあまり興味がない。

もちろん、今までコーディネートの一部としては着用してきたけれど。

でも、日本で太い二の腕をさらけ出して着るノースリーブ、イマイチ勇気がなくて若い頃も着て外を歩いた事がない。

水着以外。

しかし、アメリカでは堂々と着て外を歩いている。

私の事を大して見ている人もいなければ、そんな事いちいち気にして指摘する人がいないので。

気持ちが自由で心地よい。

私は子供の頃から足のサイズも大きかった。

それも買い物へ行くと、母親から指摘され店員さんを困らせるのが嫌だった。

だから常に少し小さいサイズを大丈夫と言って、痛みを我慢して履いていた。

これはアメリカに遊学するまで続いた。

足の指をすぼめて靴を履いていると姿勢にも影響してくる、それも私が割と若い頃から腰が悪かった理由の1つだと思う。

けど、これもアメリカに来て一気に開放された。

小さな事なのだけれど、溜め続ければきっと毒になる。

治安云々いろいろ問題はあるけれど、アメリカに住んでいると私の気持ちは楽ちん♪

身も心も開放されている。

本日はそんな事でした。

風薫る五月。

爽快な気分で毎日が過ごせますように♡

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