私の地元の九州男児のお話

Monochrome

-Photo by rawpixel.com from Pexels

最近こちらで、九州男児とお会いする機会が何度かあったのでふと思い立ち、私の地元の九州男児とのビター&スイートな思い出を記事にしてみました。

まず、ステレオタイプの「九州男児」とは下記の通り。

九州男児 (きゅうしゅうだんじ)は、九州出身の男性のこと。一本気、逞しい、勇ましい等、ポジティブイメージがある。反面、短気、曖昧、自己中心さらには男尊女卑などネガティブイメージもある。

引用元:ウィキペディア

そうですね〜。
夫を除き、私の家族の男性陣はみな九州男児。

私は父親が長期に渡り大阪で暮らし、母親も仕事をしていたため母方の祖父母の家で育てられたのですが、祖父は鹿児島県出身で生粋の九州男児だったと言えます。

ただ、自己中心的ではなかったかな。
動物好きなイケメンで、流石に孫にはやさしい祖父でした。

もう5年前かな?地元に里帰りをした時のお話ですが、私はコンビニに行こうと歩いておりあと5、6歩先にはコンビニのドアという距離にいて。

その私を横入りのようにザッと抜いていき、ドアを開けようとする作業着を着た男性がいたので、「はいはい。Welcome to ZIMOTO」ね、と心の中で呟いていたらその男性は、私のために扉を開けていてくれたんですよね。

後ろ向きの姿勢のまま。

日本でも都会だとあり得るであろうその光景が、”地元”で行われている事に面食らってしまった私は「ありがとう」を言っていないと思う。

アメリカでは当たり前過ぎる行動で、行為と言葉が一色単になっているから「Thank you」を言い忘れることなどないのに。

条件反射で軽い会釈ぐらいはしたと思いますが。
その時、ここも変わってきたんだねと嬉しく思いました。

まぁ、こんな些細な出来事で地元の女友達との会話も盛り上がってしまうほど、特に今の時代「九州男児」への批判は厳しいものなのかもしれません。

今までに知り合った地元女子の彼氏や旦那さまたちが生粋の九州男児で、私からしたら、考えられない常識を兼ね備えたりしている場合もありますが。

しかし、それには九州女子のしっかりとした九州男児を支える気質みたいなものがあって、互いの相性が良ければそれはそれでね。

他人が首を突っ込んでどうこういう話でもなく。

マイナスもプラスも入り混じり、複雑だった少女時代の忘れられない思い出

そんな九州男児に生まれて初めて告白されたのは、時代を遡り私が中学生の頃。
同じクラスで席が前後になった事がきっかけで、よく話すようになった男の子から。

その少年は少し大人びていて話は面白く、優しくて彼のグループの中ではリーダーのような存在でした。

家庭環境が複雑だったから大人びていたのだと思いますが、その時点ではまだ彼の見た目は普通の中学生。

その頃、男の子を好きになるという特別な感情が、まだ芽生えていなかった私は流されるまま、その子のグループと私の友達とで一緒に学校から帰宅したり、手紙の交換をしたり、休日にはみんなで街をブラブラして遊ぶというような”お付き合い”をしていました。

私たちの事は、彼のグループと私の親友の間だけの秘密だった。

その時のクラスメイトは皆、男女共にとても仲が良く私と親友は勉強が多少できる人気者の”坊っちゃん連中”とも仲良くしていて、席を自由に移動してよい授業では彼らとグループを組むことが多かった。

しかし、この人気者の”坊っちゃん連中”の中には「女は汚ねぇ」「女は臭い」などという無礼な人物もいて、そんな言葉で罵倒され泣かされた女の子は数知れずおりました。

私も泣いた経験がある。
悲しいとはまた別の感情で悔しくて、なんだか情けなくなり涙が出ていた。

今でこそですが、こういう女の子を侮辱する言葉を平気で言える人物の父親もきっとそんな人なんだろうなと。
だから、10代の少年が”女”ってそんなものだと思い気軽に口にする。

そして、男女別々の授業(昭和の時代にはあったんですよ、男女別々で授業を受けるクラスがね)をいつも通り別の校舎で受けていた私たちは、”坊っちゃん連中”の裏の顔を見ることになる。

私と”お付き合い”をしていた彼が、女子が授業をしている校舎へとわざわざ足を運び手紙を届けてくれまして。

それを受け取る際「このことは絶対、誰にも言わないで」と口止めをされました。

彼の妙な様子から、何かあったのかな?と思い急いで読んだ手紙の内容は、楽しい休み時間の陽気な空気を一瞬で凍りつかせるものだった。

彼は「誰にも言わないで」と言ったけれど、それは守ることのできない約束で。

当時の私の仲良し女子グループは、親友を入れて5人。
その5人のクラスに置かれていたスポーツバッグの中身を、”奴ら”が開けて見たという。

その行為に及んだ全員分の少年たちの名前が手紙には書かれていた。

その日、体育の授業もあった私たちのスポーツバッグの中には、体操着や生理用品そして成績表も入っていたから、それを全て見られたのだと思った時の思春期の私たちの怒りと悲しみ、悔しい気持ちは頂点に達し、担任ではない女性の先生のところへ相談に行きました。

もちろん”お付き合い”をしていた彼にも、そうなった事実と私たちの気持ちは説明をしてから。

職員室で女性の先生にその事を話すと、情けなくなったのか先生も泣き始めて担任の先生には私から話すと言ってくれて。

私はなぜかその時は全く泣けなかったんですよね。
5人の中で私だけ。
ただただ、無償に腹が立っていた。

どうして私達だけがこんな戒めを受けなければならないのかと。

しかし、気がかりだったのは、この事実を私に報告してくれた”奴ら”からしたら裏切り者の私の彼のこと。

担任の先生から厳しく注意を受け私たちにも謝りましたが、奴らはもちろん裏切り者探しを始めました。

そしてあの日、男女別々の授業が終わったあとすぐに私が駆けつけ話をしていた人が怪しいと、彼は奴らに呼び出されてしまった。

私も勝手なもので、そうなってしまった後でいろいろな事が心配になり始めたのですが、奴らと同じ年の少年だったのに彼は全く私の事を責めなかった。

「大丈夫だから」と言われた気さえする。
この辺りの記憶は曖昧。

ですが、しかしです。
呼び出されたその翌日、彼は無傷でした。

何となくそんな気はしていましたが、私の彼は強かった。
身も心も。

その後、学年が上がりクラス替えもありましたので、”奴ら”とどう過ごしたのか覚えていないんですよね。

ただ、中学の同窓会には一度も参加したことがない。
未だに参加したいとは思わない。

小さい町なので、人づてに彼らも大人になって昔の事はいろいろと反省しているみたいよ、とかどうしているのか話に出てるよ、私が帰国したら同窓会とは別で飲みに行こうと言っていた、などとという話しを聞きますが全く気が進みません。

親友たちには、自分たちの気が向いたんだったら、私抜きで行っておいでよと毎回言っております。

つい、あの日まで友達だと思っていた男の子たちに裏切られたショックと悲しみは根深いのだ。

そして彼とは

クラスも離れ、受験勉強に備えるべく灰色一色に塗り替えられた学生生活にのまれて、お別れをいたしました。

手に取るように風貌がどんどん変わっていく彼に声掛けもできないまま。
小さい町なので、里帰りすると時々見かけることはあっても話をすることもなく。

最後に

そう。
ですから、九州男児と一口にいっても本当にさまざま。

私が東京で働いていた際、よく通っていたクラブで友人の九州男児とバッタリ遭遇し、その頃のアパレル仲間に紹介したことがあるのですが、彼らはなかなか気に入られていましたね。

関東ガールには未知の世界だった九州男児ですから、どこが良いのかと尋ねると「東京男子はいつも優しいからそれが普通になってしまうけど、九州男児は”ここぞ”という時にだけ優しいからそこにグッとくる」という意見がありました。

今の言葉でいうと「ツンデレ」ということかな。

九州男児に囲まれて育ち、東京方面で暮らした私も思いました。
東京男子はいつもやさしいと。

その頃は、九州出身の私の周りの女子もみな、口を揃えてそういっていましたね。

それは、東京出身の男性限定という事ではなく、「東京」で暮らす男性達に都会マジックがかかりそうなってゆくという事ではないのかな。

九州男児も日本男児もいろいろな事で叩かれることが多くなりましたが、ステレオタイプでない男性たちは確実にどこにでもいて、そんな人達だけが、地元やその他の場所に住む私の友人。

そんな友人たちに育てられた、次の世代は確実にいろんな事が今までとは違ってきていると思う。

そんなとこです。

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