-Photo by Ylanite Koppens from Pexels–
最近は80年代〜90年代によく聴いたJ-popというか歌謡曲ばかり聴いているせいか、今朝は大昔に少しの間だけ仲良かった女友達の事を思い出した。
そして、頭から離れていかないため、ブログにする事で解き放たれようと思います。
昔の事を思い出すことは脳にも良いっていいますからね。
その女友達とは高校の頃、クラスが同じになり顔見知りになりました。
私は相変わらず、幼なじみと小学校、もしくは中学から仲の良い友人たちと呆れるほど一緒にいたので、割と綺麗で声は可愛く、人見知りするお嬢様気質のMとはあまり話す機会もなく。
それが一緒に遊びに行くまでに仲良くなったのは、高校を卒業した後から。
仲の良かった共通の友人を通して、間接的に徐々に仲良くなっていったんですよね。
Mのプライベートな事は、子供の頃からつき合っている彼がいて、多分その人と結婚するんだろうと言うことだけでしたけど、ま、若い頃、なんか気が合う♪人と友達になる事に他の事柄など関係ないから。
その後、私は上京するわけですが。
上京といっても、住んでいたのは東京近郊で会社の寮ね。
手紙やハガキのやり取りも、多少はしていたと思うMから電話(もちろんこの時代は固定電話)をもらったのは、上京して3年後?くらいだったかな。
横浜に行く予定があるから、遊びに行ってもいいかなという事で。
もちろん大歓迎!
しかし、久しぶりに再会したMは打ちひしがれてボロボロだった。
それは、その、子供の頃からおつき合いをしていた彼と別れる事になったという理由で。
それまでの二人の詳しい話を聞いた事がなかったので、その時に初めて聞いたのですが彼も高校卒業後、しばらくは地元で働きそのあと上京したらしい。
しばらくの間、Mは地元と東京を行き来していたが彼に地元に帰る気持ちはなく、二人の行く末が不安になり・・・。
という事でした。
若い時の恋愛事の別れは辛い。
Mとその彼はしかも、10年以上家族ぐるみのおつき合いをしていたわけでそれは当然、結婚前提であっただろうし、彼女の将来の目標は彼だったのだろうし、そんな彼との別れはともすれば一生のトラウマにもなりかねない。
私はフラれた事はあってもそんなに長く、男性とおつき合いをした事がなかったから、彼女の気持ちに寄り添えたかはどうかはわかりませんが、目の前ではらはらと涙を流すMに、私の勤めるショップに遊びにおいでよ、ランチしよう!と言ったり下北沢には遊びに連れてったような気がする。
それから、どれだけ東京生活が充実していて楽しいかなどを話したかな。
たくさん泣いていたけど、何度かは笑い顔も見た。
最後は落ち着いた様子で地元に帰って行ったM。
そのあと地元に里帰りすると、Mと共通の友人から「かなりfuffyに感謝してたよ〜fuffyが仕事してる姿を見て励みにもなったって〜これから頑張って働くらしいよ」と言われた時は嬉しかった。
気づいたらMはアパレルの販売員になっていて、熱心に働いていた。
しかし、私が渡米すると決め資金を貯めるため地元に戻り、実家暮らしを始めた時はかなり驚いていた。
「あんなに頑張って仕事してせっかくキャリアも築いたのに、辞めてしまうの?なんで?」というような事を言われたと思う。
何せかれこれ、25年ほどは前の話なので記憶はおぼろげですが、Mはとても純粋でまっすぐな人だったのだとそのとき初めて気づいたのでした。
私が”頑張って仕事していた”のは、半分は東京生活を支えていた”遊び”のためだったかもしれないから、あそこまでのキャリアでもう十分満足だったんだよね。
とは心の声で実際、彼女には言っていないと思う。
私は根が不真面目で狡猾な人だから、Mの事が物凄く純粋な人に思え、そんな事を冗談でも口にすれば、軽蔑されるような気がしたので言ってない。
しかし、とり合えず”次の目標は渡米”と言った事で十分ザックリMからは引かれてしまっていた。
渡米して、結婚して、南カリフォルニアでの生活が続き、幼なじみが体を壊したために一時帰国していたとき、Mの勤めるショップに行ってみると彼女はそこの主となっていた。
とても努力したのだと思う。
そして今も多分、主として頑張っていると思う。
凄い事だと思う。
そんな彼女の生き方の、キッカケの一部になれた事が誇らしい。
ちなみにMの元カレはその後、渡英して異国の人と結婚したと風のうわさで聞きました。
私はMの元カレと話した事もなければ、顔もよくわからない。
けど、少し私と似たタイプの人だったのかもしれない、と考えてみたりする今日この頃。。。
最新記事はこちらです♪