-Photo by jancarlo vazquez from Pexels–
前書き
今年の九州地方の梅雨入りは遅かったようですが、梅雨明け予想は意外に早く7月の上旬なんですね。
晴れの日が続くと爽快ですが、十分な雨に恵まれたかな。
さて、私のブログ、友人の事を記事にした際は読んでみてねとそのページのリンクを友人達に送るのですが、みな褒め上手なため私はすぐに調子にのります♪
そんな”褒め上手”なところは、彼女たちの子育てにもとても良く反映されているのだと思う。
何を基準にして人様の子供を優秀というのか難しいところですが、私の友人達のお子ちゃまは皆、それぞれに本当に優秀なんです。
母親である友人たちを、子供の頃や若い頃から知っている場合は特にそう思ったりして(これは後で怒られる一文)。
しかしながら、お子ちゃまは彼女たち一人が育てたわけではもちろんないわけで、旦那様や他のご家族からの愛情もたっぷりと注がれて、大らかに皆それぞれの才能を発揮している。
私と夫は子供を持つという選択はしなかったわけですが、先日、早く子供を持ちたいと希望に満ちているブラジリアン・ガールから、「子供を諦めたのはいつ?」と聞かれてふと考えてみたんですよね。
子供を持つことを諦めたのはいつだったか?
私は20代の後半に今の夫と結婚し、ただ漠然と結婚したからには子供をつくるのだろうなとは思っていました。
私の結婚は「アフリカン・アメリカン」”黒人”との結婚という事で、母親とあまり一緒には暮らしたことのない、父親にまで大反対されていたので半場かけおち?のようなカタチでした。
母親は夫に初めて会った際、「結婚はやめて」と面と向かって懇願し、夫が母に「fuffyを生んでくれてありがとう」と言えば母は「お前のために生んだんじゃない」という始末。
夫が先にアメリカに帰国してその後、私が渡米したわけですが母は結局、私を空港まで車で送ってくれて取り乱すでもなく普通に見送ってはくれました。
私の飽きっぽい性格を重重に理解していた母は、結婚生活もどうせ長くは続かないだろうと高をくくっていたみたいです。
そんな事でしたから、結婚式はこちらの手続き上の理由により、City Hall(市役所)で行っただけで披露宴などはしていません。
そして、分かっていはいた事ですが結婚した当初、私たちはお金がなかった。
西海岸では毎日暮らしていくのに精一杯。
ただただ、何をやっても楽しくて面白くて周りの人間関係には物凄く恵まれていたけれど。
そんな生活の中、ようやく夫のキャリアに光が見えたかと思いきや、母親の病気が発覚し、母は戻って来なくていいからと言ってくれたものの、私たちは地元に住むことを決め引っ越しをして。
祖父母には持ち家がいくつかあったため、住む場所には困りませんでしたが下手にアメリカで仕事をした経験は、私が日本で仕事に馴染む事に苦労をさせた。
夫は日本語を話せ、読み書きもでき日本の文化を十分に理解していた人ですが、それでも生まれて初めての日本での生活は、想像以上に容易なものではなかったのだと思う。
私の家族のように一緒に育った幼なじみ、仲の良かった親友は既にこの世を去っており母の容体は悪くなる一方、そのうえ仕事や家事は当たり前にこなさなくてはならない。
そんな私に、夫の気持ちをサポートする心の余裕は全くありませんでした。
全ての事を同時進行するという事が私には出来ないのだという事を、その時初めて実感しました。
のちに離婚の話まで出た私たち。
今では、夫の事をあんなにも無下に扱ってしまっていた私と、なぜまだ一緒にいてくれるのだろうと疑問に思う事もしばしば。
そのせいもあってか、少々の不便や田舎暮らしが退屈な事くらいで、今の生活がハッピー♡ではないなどと、どの口が言えるのだろうかと思うのです。
それはそうと、”子供を持つこと”を諦めたのは、そんな濁流に飲み込まれながら生活をしていた30代後半の時かなと。
ふと「子供って今、産んでおかないと一生無理かも」と思い、夫に相談したところ日本では自分たちの子供を育てる自信がないと言われました。
それにアッサリと納得をした私は、それほど”子供を持つ”という事に関しては消極的だったのだと思います。
あの時、下した決断に今でも後悔はしていないかな。
せっかく子供を産める体に産んでくれた両親に、申し訳ないという気持ちはありますが、両親は既にこの世におりませんからね。
母は死ぬ間際まで、二人が幸せに暮らしていればそれでいいんだから、子育ては大変なんだから(私がそうだったからか)、無理に子供はつくるなよと何度も何度も言ってたっけ。
結婚には猛反対だったくせにね。
日本の産婦人科で言われたこと
日本の産婦人科で婦人科検診をすると、あの頃はよく言われたものです「早く子供をつくらないと手遅れになる」とか、「子供をつくらないで将来は誰に面倒を見させるつもりだ」などと。
医者たちに私は何の相談もしておりません。
私が初めて婦人科検診を受けたのはアメリカなのですが、その後もアメリカでしか婦人科検診を受けた事がなかった私は、医者の個人的意見?を聞いたときは衝撃を受けました。
そして、余計なお世話だなと思いました。
夫婦にはいろんな形があるものだし、子供をつくるもつくらないも、子育てをするもしないも個人の自由。
そこはもっと繊細に捉えてよい部分ではないでしょうか。
いくら少子化で日本が大変な時代を迎えているとはいえ、女性は子供を産んで育てるための道具ではないのだし、将来の事は自分たちでおいおい考えてゆくのだから、たまたま偶然出会った赤の他人にとやかく言われる筋合いはない。
アメリカではこちらが相談をしたならまだしも、何も聞かれないのにどんな理由があるのかも分からない一個人にそんな不躾なことは言いません。
自分自身が何不自由なく生まれ育った国なので、今でも日本を恋しく思います。
しかし、産婦人科での対応に限られた話ではなく、私のような一つの決まりきった枠の中に収まりきれないような女性は、日本では生活がし辛いのかもと思う。
最後に
もしももしも、アメリカで凄い金額の宝くじがあたったら子供をアダプト(養子を迎えること)して育てたいと思ったりはします。
子育てにはある程度のお金も必要と考える私たち夫婦は、そんな事もときどき話しますけどね。
ま〜確率としてはかなりないに等しいかな。
多少の心配事はもちろんありますが、ここでこうして私がのんびりと気楽に過ごしていられるのは、夫が健康で毎日必死に仕事をしてくれているお陰と、日本に住む親戚が祖母やお墓の事をきちんとしてくれているお陰。
と日々、感謝の気持ちを忘れずに。
毎日の暮らしをヘルシーでハッピーに♡
これからも二人で、今のところは米国で、迫りくるさまざまな荒波と戦ってゆきたいと思っています。
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