ストレートの私たちが、LBGTコミュニティで暮らして良かったこと

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-Photo by Sharon McCutcheon from Pexels

まず、言葉の選択が”LGBT”でよかったのかとも思うのですが、私たちが住んでいた地域は現在「LGBT」コミュニティと呼ばれているようだったので。

正しくは「LGBTQ」コミュニティなのかな。

念の為「LGBTQ」の意味がわからない方のために。

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(生まれた性と異なる性で生きる人)、クエスチョニング(性自認や性的指向を定めない人)の頭文字をとっている。Qは性的少数者の総称を表す「クィア」という意味でも使われている。

引用元:コトバンク

まずは外枠の魅力から

90年代の後半、南カリフォルニアに遊学していた私は、学生の頃から友人たちとよくLBGTコミュニティに足を運んでいました。

それは、単純にオシャレなカフェや美味しいレストラン、可愛い古着屋さんにユーズドのレコード・CDショップがあったから。

LBGTの街はダウンタウン同様、車社会のアメリカでも唯一、人が歩いていても不自然ではない場所であり、ダウンタウンよりもよかったのは怪しげな通りがなかったこと。

なんといっても私は気楽で妙に安心できる雰囲気に惹かれていました。

学生の頃、仲が良かったスイス人の男の子はそこでナンパされ、かなり動揺していたので、必ずしも男性が同じ気持ちでいられたとは思いませんが。

そんな街に夫とお付き合いしている時も、何度もデートで訪れました。

夫の場合、さまざまなアメリカ文化の扉を切り開いてきたのは、ゲイの人々だという認識があり、昔からLBGTの方々が周りにいることが、彼の中の普通だったようです。

私は日本のアパレル業界で働いた経験があるため、彼らの存在に全く気づかなかったわけではありませんが、親しい友人の中に自分はLGBTなのだと名乗り出た方はいませんでしたから、理解しようとも思っていなかったというのが正直なところ。

ですから、彼らのことは夫から学んだことも多い。

オシャレなカフェに美味しいレストラン、しかも誰もが笑顔で目が合えば必ず挨拶してくれる、陽気で気楽に暮らせる街に住みたいと思った私は、夫と暮らし始める新居にLBGTコミュニティを選びました。

住んでみて物凄く便利だったのは、徒歩圏内にオーガニックストアを含むスーパーマーケットが3つと郵便局、カフェにスポーツジムがあったこと。

その頃、私の愛車だったSPECIALIZEDのマウンテンバイクで行動するのにも丁度よく。

そして、LGBTコミュニティ近くのカフェで働き始めた私は、マウンテンバイクをこぎお家を見ながら帰るのも楽しみでした。

彼らのコミュニティのお家はどれも個性があり素敵で。

玄関先のポーチはお花でキレイに埋め尽くされ、いつ見ても手入れが行き届いていて。

失礼なのは承知の上ですが、その地域はLGBTコミュニティである以外、海も大した景色もない場所なのに、家の値段はどれも億単位。

しかし、弁護士と医者という男同士のカップルだったりするとポンと買えるのでしょうな。

金銭的には毎月、ギリギリの生活で住んでいた私たちのアパートメントは、ワンベッドルームでしたけど万が一、オーナーがコンドミニアムとして売り出す時が来れば買う!という勢いで暮らしておりました。

そんなアパートメントは立地、ご近所さんともに最高でしたから。

親切なアフリカン・アメリカンご夫婦との出会い

アメリカで都会のアパートメントに住むと、洗濯機と乾燥機の設置が部屋ごとにないため、ランドリールームという場所がいくつか設けてあるのが通常。

そこで、使用されてない洗濯機だと思い込み、コインを投入した後でフタを開けたところ、他人様の洋服の脱水が終わった状態で入っておりまして。

既にコインを投入してしまった後で、脱水された洗濯物の上に水がバシャバシャとかかるのを見ながら青ざめた私。

洗濯物の持ち主に謝りたくても、弁償したくてもどこのどなたの物か見当もつかない。

無い知恵を振り絞り出した答えは、部屋に即効で戻りメモ書きをして残す事。

「洗濯機を空だと思いコインを投入して、あなたの洗濯物を再度洗濯してしまいました。ごめんなさい。弁償したいのでこのメモを見たら連絡ください」のような内容を、電話番号と部屋番号とともに書き残しました。

部屋で緊張しながら連絡を待っていると、玄関の扉を叩くノックの音がしたので、ドアを開けると同時に謝りました。

すると、彼女はおおらかな笑顔で「大丈夫よ〜!気にしないで!一応、ここには来てみたけど。たかが洗濯物じゃない」と笑ってといってくれて、弁償のつもりだったコインは受け取ってくれませんでした。

その後から、会うとお喋りしたり、クリスマスにはご家族でドア前まで来てくれて、クリスマスキャロルを歌ってくれたり日本茶が好きだという彼女に、お茶をプレゼントしたりお返しをもらったりする仲になりました。

彼女の旦那様は小説家だったので、いつも仲睦まじく二人は一緒にいて。

あの場所には珍しく、黒ずくめのファッションがダンディなカップルとの出会い

彼らと仲良くなったのは、主夫をしていた方のファーストネームが偶然、私の夫と同じで、お互いの手紙が間違って届くことが多かったことがきっかけ。

彼らは、よく私達の部屋まで手紙を届けてくれました。

ニューヨークで生まれ育ったというお二人は、ニューヨークの狭いゲイコミュニティで生活することに飽きてしまい、西海岸に引っ越して来たそうで。

ランドリールームで会うことも多く、乾燥機をうまく使うコツを教えていただいたりもしました。

アパートメントの住人の、ゴシップを立ち話したり。

こちらのカップルは、私の勝手にイメージするイギリス人のような方々で、外でお見かけしても高い背丈にスラリとした体型、それにいつ会ってもお二人とも黒ずくめ、もしくはモノトーンファッション。

あの付近では、あまり黒ずくめやモノトーンファッションをしている人を見かけないので、どこにいてもわかってしまう、とてもスタイリッシュでダンディなお二人でした。

それと、そのアパートメントはドラァグクイーンの方々がオシャレをして、これからお出かけするという場面にもたびたび遭遇する住まいでした。

とても素敵です!と声をかければお礼を言われ、どの方も見た目ツンとしているようでしたが、キュートでユーモアを兼ね備えた方ばかりだった。

当時あの界隈で有名だった日本人女性との出会い

出会ってしばらくしてから知ったのですが、彼女はそのゲイコミュニティにとても貢献している方で、ゲイの方々の間でも有名な人でした。

アメリカで働くことの右も左もわからない私を、ほんの少しの面接だけでカフェで雇ってくれた恩人ともいえる人。

オーナーがアメリカ人のカフェで彼女はマネージャーとして働いていました。

見た目、日本人には見えない彼女の口から日本語が発せられたときには驚きましたけど。

それは、カフェに訪れる日本人客から、”この方は日本語がお上手ね〜”と言われてしまうレベル。

その度に私たちは笑いがこみ上げるのをこらえていたけれど。

カフェでは優等生で美青年、優しくて親切、そしてゲイという非の打ち所のない大学生も働いていて彼には仕事面で随分、ほんとに随分助けてもらいました。

彼は今、立派な大人に成長していて弁護士として活躍しています。

そんな彼らと私は初めて、ゲイ・パレードを見に行ったのでした。

私は若い頃、ひねくれ者だったせいか”泣き”のスイッチがおかしなところにあり、滅多なことでは泣けない人だったのですが、パレードに参加しているご家族の愛のこもったプラカードを見て泣いてしまった。

皆が満面の笑顔で楽しんでいるところで、なんか妙に感動して感極まってしまい。

ゲイ・パレードって物凄く熱くて、楽しくて、クレイジーで感動もする大イベントです。

いろいろな事で悩んでいる方はぜひ、一度参加することをおすすめします!

あの時代、夫との結婚を私の家族に反対され、ほとんど駆け落ちのように結婚した私たち。

夫も仕事のキャリアを積み上げている途中で、金銭面では苦労しましたが、人間関係にはとても恵まれたくさん励まされました。

今思えば、おんぶに抱っこのように甘えた生活だったと思う。

しかし、みなそれぞれ平等に、大人にならなければならない時期は来るのでしょうね。

私の母親の病気が発覚して、余命幾ばくもない状態だと聞いた私たちは、日本へ移り住むことを決め、後ろ髪を引かれながらもおよそ7年間、いろんな友人たちに甘えて支えられ、平和に楽しく暮らしたLBGTコミュニティに別れを告げたのでした。

やっぱり、良い事しか思い出せないLBGTコミュニティでの暮らし

今でも仲良くしているチャイニーズ・アメリカンの親友とも、LBGTコミュニティで出会ったんですよね。

彼女はひょんな事からこのコミュニティで生活をすることになり、数年は暮らしたのですが、ストレートの伴侶を見つけたかったため引っ越をしたのでした。

中国に里帰りした際、彼女たちの文化の一つでもある占い師からのアドバイスが、「あなたの今住んでいるところは”陰陽”のバランスが取れておらず、”陽”ばかりの場所なので北へ移りなさい」だったそうで。

当時はま、そりゃそうだと笑ってしまった私ですが、彼女は北へ引っ越してすぐに良い人と出会い、子供まで授かり今ではビジネスも成功させているから大したもの。

私の体験でしかありませんが、あの界隈でアジア人はとても良い扱いを受ける気がするんですよ。

ゲイの友人いわく、仏教徒の多いアジア人はクリスチャンと違い、歴史的にゲイの存在を認めていることにも、アジア人が良い扱いを受ける要素があるのでは?とのことでした。

なるほどです。

クラブでも、東京で勤めていたことがあるよとゲイの方に言おうものなら、質問攻めにあっていたあの頃。

当時、東京にモデルとして行くとか遊びに行きたい!という人は多かった。

今はそれが中国に変わっているのではないかという勝手な憶測をしてみたり。

それから、私たちと同じようにLBGTコミュニティを住みやすいと思う、ストレートの方々もいらっしゃり、そんな人々との出会いも楽しかった。

本当に良い事しか思い出せないLBGTコミュニティでの暮らし。

困ったことは、ゲイ・クラブでのお手洗いとジムの更衣室での着替えくらい。

カフェのマネージャーのホームグラウンドでもあるゲイクラブに連れて行ってもらった際、当然のことながら混み合うトイレで用を達するのは、容易なことではありませんでしたね。

まずお手洗いの形相が結構やばい。

並んでいると、「あらッ!?ついてないから不便でしょ!?」などの冗談もいわれるし。

本当、ついてないから不便だった。

私が通っていたLGBTコミュニティのジムは、見た目でいうと、男性の方が女性より多かったのですが、当時の更衣室はそれでも男女別にわかれており。

女性用の更衣室とはいえ、入ればなんだか、異性に見られているような感覚の雰囲気は否めない。

さまざまな誤解を避けるためにも、そこでシャワーを浴びたり全体的な着替えをしたことがなかった私です。

個人的にはあの場所であれば、更衣室の男女分けは不必要な気がしています。

そんな暮らしもあり、それが自然かのように私にはゲイの友人がいて、夫にはレズビアンの友人がいる。

今の暮らしも、そばにいる人々には恵まれていると思っていて、それなりに満足はしておりますが、宝くじでも当たれば住んでいたLGBTコミュニティへ戻りたい。

カリフォルニアは州税も高いのでね。

確か、あの辺りにはシニアのコンドミニアムもあるんですよ。

ですから、一人でお買い物をしているお年寄りも多かったですし、体に障害を抱え車椅子で生活をされている方も結構いらっしゃった。

私のゲイの友人もそうですが、LGBTコミュニティの方は、車椅子で生活をしている方やシニアの方にもとても親切という印象があります。

ほらまた、良いこと尽くめ。

”隣の芝生は青く見える”症候群的なものもあるのかもしれません。

当のご本人たちである、LGBTQの方々にとってもパートナーを見つける出会いの場所であったり、さまざまな人生ドラマが繰り広げられる場所であるため、そこに一生住み続けるというのは容易なことではないのかもしれませんが。

きっと、今は若い世代で盛り上がっているであろうLBGTコミュニティ。

しつこいようですが、本当に夫婦共に機会があればまた住みたいと思っています。

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