母の愛車トヨタのトレノと当時の車あれこれ

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-Photo by Simon Matzinger from Pexels

私の母親は、10年以上前に他界しているので正確には「母の愛車だったトヨタのスプリンター・トレノ」と、当時の車あれこれというお話です。

その「トヨタのスプリンター・トレノ」がこちらのモデル。

私の母は、車がないと生活が不便な田舎育ちという事もあってか、車を運転するのが好きでオートマよりもミッション派の人でした。

ちなみに一緒に暮らした記憶の薄い父親は、車はオートマ派でしたが若い頃はバイカーだったよう。

母親はスポーツカーが好きで。

母の所有車の中で、一番印象に残っているのがトヨタのトレノ。

この車で、私が「海が見たい」といえば「おッ☆恋をしたのかな」などと茶化されながらドライブに行ったり、食事に出かけたりドライブ旅行に出かけたり。

そして、私が免許を取得し、自動車学校の車以外で初めて運転したのがこの車でした。

既に、母が何年か乗っていたので私がもし、どこかでぶつけたり傷をつけたりしても腹が立たないと言われ、母と共同で乗っていたんですよね。

母親は若い頃、父が運転するバイクの後ろに乗り友人たちとツーリングに行っていた最中、交通事故に合い体が空中に舞って亡くなった友人たちを目撃したことがあるため、私がバイクや軽自動車に乗ることには絶対、断固反対だった。

昔の人は軽自動車を軽視して、嫌う傾向にありませんでした?

今は私が昔の人ですが、現代の軽自動車は全く昔のものとは性能が違うため、日本に里帰りして運転するなら断然軽自動車。

リーズナブルですし、運転もしやすいから。

母と車のエピソード

母はずっと仕事をしていましたので、共同で車を使うということは、彼女が必要な時に私は必ず所定の場所と時間に、車を戻さなければいけないということ。

これが、なかなか守れずに何度母親を激怒させたことか。

母の立場を思えば、時間通りに仕事に出かけようと思ったとき、あるはずの場所に車はなく、仕事から疲れて帰ろうと思った時に、そこに停めておいたはずの車がないのですから、怒って当たり前。

しかし、若い時は何も考えておらず勝手気ままの無敵な私でしたから。

携帯電話のない時代ですし、車はそっと戻しておき、しばらく母とは顔を合わせないよう工夫をして過ごす日々が続く。

それと当時はタバコをパカパカ吸っていた私。

運転席から外にポイ捨てしたつもりが、後部座席に舞い落ちていたらしく気づいたときには煙がモウモウとしており。

慌てて車を停めて確認しましたら、既に遅しでシートには穴が×
まさに”天に向かって唾を吐く”とはこのこと。

これも母の逆鱗に触れました。

人としてのあり方もどうにかしていた私。
良い子の皆さまは、決して真似をしませんように。

そしてそんなある日、母に聞かれた事。

若い男の子に車で追いかけられ、それがあまりにもしつこく腹が立ったので、コンビニの駐車場に車を停めた母。

すると、男の子も車を停め。

母はその子の車の窓に詰め寄り、「ちょっと。おばさんを誰かと勘違いしてんじゃないの?」といったそうです。

すると男の子は「えへへ」と笑い去っていたのだとか。

そんな出来事があった母に、「車で変なとこ行って変な遊びとかしてないよね?」と聞かれたのでした。

しかし、そんな母のエピソードの後、誰からも私の母を車で追いかけてしまったという話を聞いてない。

ただ単にそれは私の母を若い女性と見間違え、ナンパしようと思った男の子の過ちではなかったのかと。

当時の母はとにかく若く見えましたからね。

正直に申しますと、母は40歳を過ぎた辺りから、子供である私にも年齢を曖昧にしており。

亡くなったときに改めて、ああ、そんな年だったのかと思ったのです。

親友が乗っていた車たち

私の幼馴染みは、彼女によく似合ったキュートな紺の軽自動車を、ご両親からプレゼントされそれに乗っていたっけ。

スズキのアルトだったような気もしますが、車種まで思い出せない。
ダイハツのミラでなかったのは確か。

そして、親友が乗っていたのがこちら「トヨタのカローラ・レビン」GT APEX AE86後期型。

母の車「トヨタのトレノ」とは姉妹車になります。

親友のお兄さんが車好きだったので、その影響もあり彼女はこの車を選んだのではなかったかな。

私たちはわざわざ、別々の車でドライブに出かけパーキングでは隣同士に停めて、車好きの方々とお話するのも好きでした。

当時の車好きの方々、特に”走り屋”と呼ばれていた人達にトヨタのトレノとレビンは人気の車でしたから。

そして、もう一人の親友が所有していたのが「HONDAのグランドシビック」。

この車には本当にお世話になりました。

親友はこの”グラシビ”を新車で購入したにもかかわらず、2年足らずで走行距離なんと10万キロ以上を走らせた。

私のせいです。

それは何度も運転させてもらい、九州内を行っていない場所はないくらい、隈なくドライブした私たち。

当時、日本では10万キロ以上走行させた車は車検が通らないと決まっていて、やむなく廃車となりました。

今はそのような決まり事はないようですが。

本当にとても運転しやすく、良い車でした。

彼女は車がないと駄目な人で、この後もいろいろな種類の車を所有してきたから、グラシビの後に何を乗っていたのか思い出せません。

当時、私が好きだった車

個人的に私は、ヤンキーのお兄さん方や小洒落たお兄さんたちが乗っていた、日産スカイライン2000GT、通称「ハコスカ」と呼ばれる車が好きでした。

真っ赤なレッドカラーは特にお洒落だと思いました。

テールランプまで真四角なデザインが可愛いと♪

ただ乗り心地は結構、腰にくるから若い頃は楽しかったけれど、今は乗れないなと思います。

ま、乗る機会もないけど。

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出典:グーネット

それから「フォルクスワーゲン・カルマンギア」。

「プリティ・イン・ピンク」という80年代に公開された映画を観てからというもの、ずっと憧れていた車でした。

当時の友人が黒のカルマンギア、クーペに乗っていましたが見た目の可愛さはどう表現して良いかわからないほどかわいい〜ッ!のひとこと。

しかし、乗り心地が…。

最後に

当時のなつかしい車たちと共に、それにまつわるエピソードを記事にしてみました。

「この車知ってる!」とか「運転したことある!」とか「懐かしい〜」もしくは、「全然知らない。こんな車あったんだ」などと思っていただければ幸いです。

秋はドライブシーズンでもありますからね♪

心地よい風をあびながら素敵なドライブをお楽しみください。

楽しい連休になりますように♡

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